本明寺別院で安置している仏さまをご紹介します。
こちらは日蓮宗のお曼荼羅(マンダラ)で、宇宙の世界観を表しています。
「あなたのご宗旨のご本尊は何ですか?」と聞かれた時、日蓮宗では日蓮大聖人がご本尊ではなくお曼荼羅がご本尊となります。日蓮宗のお寺では稀に日蓮大聖人のお姿が見当たらないことありますが、そうした場合でも本堂中央には必ず大曼荼羅が掲げられています。
曼荼羅には「私たちが今生きているという結果は、日本や世界の国々だけの原因に留まらず、大きな宇宙の存在によって生かされている」という世界観があります。
写真のお曼荼羅はかなり古いものですが、住職が本明寺別院を建てようと願をかけ始めてから一年後、ふとしたご縁である方よりこちらのお曼荼羅をご奉納いただきました。後日、学芸員の方にこのお曼荼羅を調査していただくと、日蓮宗で多くの功績を残された、山梨県の日蓮宗総本山 身延山久遠寺第11世 行学院日朝聖人が約550年前にお書きになられたものであることが分かりました。
行学院日朝聖人は昼夜を問わず法華経の読経や勉学に励んでおられましたが、過酷な修行を長年続けていた為に目が見えなくなってしまいました。しかし日朝聖人はそうした逆境に立ちながらも、その身を仏さまにお預けし、一心に法華経を読み続けていたところ、その修行の功徳によって眼病が回復するという奇跡が起きたと言われています。
以来、日朝聖人は「眼病平癒の日朝さま」として多くの人に信仰されています。
本明寺別院では、大曼荼羅ご本尊へお経をお唱えすることはもとより、日朝聖人へも御礼の言葉を日々お伝えしています。
日蓮大聖人は千葉県鴨川市小湊でお生まれになられました。大聖人は15歳の時、千光山清澄寺で出家されてから、比叡山をはじめ日本各地で勉学と修行に励み、法華経こそが迷える人々を救済できる教えだと確信されました。
大聖人はその法華経の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えるために、鎌倉の街でお説法を続けておられましたが、罵声を浴びせる者、石を投げる者が後を絶ちませんでした。
住まいであった庵は火をつけられて襲われ、道端でも大聖人を憎む人たちから度々襲撃され、額に刀傷を受ける難、または島流し、処刑されそうになる難など、大聖人の生涯には様々な困難が降りかかりました。
しかし、大聖人は数多くの難の中にあっても、法華経を杖柱として敬い、信じ貫いた結果、大小様々の難はたちまちに退いていきました。
そして、法華経こそが真実の教えであると再認識された大聖人は、身延山に於いて多くのお弟子や信者さんの育成や教化に励まれ、最後は東京都大田区池上の地でお亡くなりになりました。
大聖人が亡くなられた後、その意志はお弟子やご信者に受け継がれ、鎌倉時代より今日に至るまで、日蓮宗は大小合わせ約5,000の寺院を有する大きな宗派に発展いたしました。そして現在では、寺院の活動拠点は日本国内にとどまらず、アメリカ、東南アジア、ヨーロッパなどでも盛んに法華経が読まれています。
本明寺別院の大聖人の御尊像は東京の日蓮宗の寺院からお預かりしたもので、お姿は大聖人が40代くらいの頃であるものと思われます。
本明寺別院では多くの仏さまや、大聖人とご一緒にお経を唱えることが出来ます。お時間がある方はどうぞゆっくりとお参りいただき、大聖人の想いを感じていただければと思います。
仏教には三宝(仏・法・僧)を敬うという教えがあります。日蓮宗の多くのお寺の本堂には写真のような三宝尊が安置されていますが、お寺に限らず、信仰が篤い信者さんのお宅でも、仏壇に三宝尊が安置されていることがあります。それだけ三宝の教えは尊い教えであり、私たちが忘れかけている大事なものを再確認させていただける有り難い仏さまなのです。
本明寺別院の三宝尊は千葉県の統合されたお寺からお預かりした仏さまで、左側にお釈迦様、中央に南無妙法蓮華経、右側に多宝如来様が座られています。
本明寺別院では堂内左手に大黒様を安置させていただいています。日蓮宗では大黒様を「お釈迦様の後身のお姿」と位置付け、大黒様を安置するには日蓮宗大荒行という過酷な修行を三度成満しなければなりません。
本明寺住職は平成27年度に三度目の荒行を成満いたしました。
写真の大黒様はご覧のとおりとても凛々しいお姿をされていますが、本明寺住職が平成26年度の三度目の大荒行へ入行していたときにご一緒させていただいた大黒様で、他の修行僧から「この大黒様は手を合わせる度にお顔が変わります」と言われる程、そのお姿には大きなエネルギーが秘められております。
この大黒様は荒行終了後、住職とアメリカのお寺に戻り、多くの外国人の方々に福を授け、住職が帰国すると同時に日本へ戻ってこられました。今後は印西市を含め、お寺に参詣される多くの方々に幸せを与えてくれことと思います。
ご自宅に大黒様をお求めになられたい方は、住職へご相談ください。
こちらの神さまは鬼子母神(キシボジン)と言う呼び名で、法華経の修行者を守護してくださる神様です。
本明寺別院の鬼子母神様は、住職が大荒行の再行(二度目の行)に入る前、東京の池上本門寺の本殿に安置されている日蓮大聖人を彫られた方(仏師)に彫刻をお願いしました。
こちらの鬼子母神様には二回の荒行にお入りいただき、日々の過酷な修行を守護していただきました。
写真の鬼子母神様は少し怖いお顔をされていますが、修行者の邪気を払い、大きなパワーをくださるとても有難い神様です。
お参りの際は鬼子母神様の前で悩みや苦しみなどを打ち明け、真摯に読経されてみてください。
きっと良い答えがいただけるはずです。
北辰妙見大菩薩は通称「妙見さま」と呼ばれ、日本では北極星の神様として親しまれています。また、日蓮宗の大学でもある立正大学の前身は千葉県匝瑳市(そうさ)にある飯高寺(はんこうじ)というお寺から始まり、そこには学問に励む修行僧を守護するために妙見様がおられたという話を聞いたことがあります。
日蓮宗では北極星の神様としてお参りすることはもとより、学問の神様としても妙見さまが崇められていたと考えられます。
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)という名前はあまり聞かれたことがないと思いますが、「トイレの神様」という言葉は何処かで耳にされたことがあると思います。
日蓮宗の総本山身延山久遠寺の総門を抜けしばらくすると左手に駐車場に公衆トイレがあります。トイレの入口には烏枢沙摩明王が安置されており、トイレを使用する人は、烏枢沙摩明王に手を合わせてから中に入り、用を足し終えると、再度烏枢沙摩明王に手を合わせるのが習いとなっています。人間が用を足すことも、ただ排出するだけのことではなく、排出させていただく有難さを感じることで、口に入れるものの大切さ、食道・胃・腸への労わる気持ちを烏枢沙摩明王は私たちに教えてくれているのです。
本明寺別院でも烏枢沙摩明王お迎えさせていただき、日々のトイレに感謝しています。
跋陀跋羅菩薩(ばっだばらぼさつ)という名前は日本ではあまり聞かれない名前ですが、実は烏枢沙摩明王と同じくらい大事な仏さまで、通称「お風呂の神様」と呼ばれています。
跋陀跋羅菩薩と他菩薩が信者さんからお風呂の供養を受け、入浴されているときに「自己と水が一如である」と悟られたようです。以来、跋陀跋羅菩薩は禅宗系の修行される寺院に安置されていることが多いと聞きますが、最近では日蓮宗のお寺でもお参りされる方が増え、本明寺別院でも跋陀跋羅菩薩様へ、お風呂の入浴前、入浴後に御礼を申し上げさせていただいています。